岸本コーチ

ドクター・福島

 ある日、突然、私は歩けなくなった。しばらく休んでいると、何も無かったかのように歩けるようになるのであった。ちょっと疲れが溜まっているのか程度にしか考えていなかったが、そういったことが頻繁に起こるようになり、トライアスロンのレース前々日、数十メートルしか歩けなくなってしまった。

 こういった症状が出始めた頃、整骨院に通い、電気を流したり、マッサージを受けたりしてみたが、治ることが無く、当初、職場で休みを取れなかったので、夜間診察してくれる整形外科にいき、腰部脊柱管狭窄症と診断される。

 最初の医師は、ストレッチをして、痛みに耐えながらやっていくしかないねえ。といった感じで、脊髄専門の医師に見てもらうことを提案した。
 そして近所の脊髄専門医には、痛み止めを処方され、しばらく飲んでいたが何も改善されず、大きな病院の整形外科に行き、更に強い痛み止めを処方されるが効果無く、ブロック注射なるものを三度試すがこれもだめ。
 時間が経つにつれ症状が悪化してくる。この時点で数ヶ月間職場を欠勤しており、直属の上司から都内に『日本で五本の指に入る脊髄専門医』がいるので、その医師に手術してもらうようにと言われ、検査等で数回通院したが、その日本で五本の指に入ると言われる医師曰く、手術するほどの状態に無いので、別の若い医師に見てもらうようにと言われた。
 んでその若い医師の紹介で、ドクター・福島にたどり着いたのであった。
 ここでやっと私の症状はかなり進行していることが判明し、手術となるのであった。

 右足の筋力低下を指摘したのもドクター・福島であり、手術後、レースに復帰出来るように面倒見ると言ってくれたのもドクター・福島だけだった。そんな主治医を私は信頼した。
 手術から二ヶ月半が経ち、日常生活においてコルセットを外しても良いとのことになり、ドクターに「完治ですか?」と訊いたところ「完治はトライアスロンに復帰出来るようになった時です」と、答えが返って来た。

2014.3.27

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