●家族もの

 週末の新聞に、不動産の広告が入ってくる。髪の毛ふさふさのスリムなお父さんと、美人で若いお母さんがフランスパンをはみ出させた買い物袋を抱え、愛らしい子供たちと手を繋いで歩いているイラストが、なんとかの一つ覚えのごとく、描いてある。私には、とても恥ずかしくて、そんなイラストは描けない。

 家族というテーマは、野球少年同様、エポキシで作っていた頃から、作り続けている。一時期、少年犯罪が起こると、学校が目の敵にされていた。「学校教育が、なっていないからだ」
 学校は、教育の場である。しつけの場ではない。しつけのなっていない子供に、教育するのは無理がある。問題のある子供のしつけは、紛れもなく家庭の問題だろう。

 最近では、0才から保育施設に預けられている子供も少なくない。5才くらいまでに感性や情緒などが、著しく育つようだが、豊かな人格が形成される大切な時期に、家族と過ごすよりも保育施設の方に長い時間預けられ、みんなと同じ遊びをする。
 週に一度しか乗らないにもかかわらず、子供を犠牲にして稼いだ金で買ったはやりの車で、誰もが好きな、千葉ネズミーランドにドライブ。誰もがほしがるネズミーマウスのぬいぐるみを買い与え、一日が終わる。
 消費するだけの一日、感性や情緒を育む余裕はなく、決められた価値観が植え付けられていく。

 昭和の家族を思い出して欲しい。お父さんは、日の暮れる頃には帰ってきた。学校から帰ってくると、お母さんが、「お帰り」と言ってくれた。マイカー、大型テレビ、パソコン。ここ数年で、日本人は、数多くのものを手に入れてきたが、その代償は、かなり大きい。家族という一般的でありながら、難しいテーマの作品は、永遠に追いかけるべきであると思っている。