日野コンテッサと「オッちゃん」

 昨年10月(2005年)叔父の孔章(よしあき)が末期ガンであることを知らされた。抗ガン剤を使用するには、本人の承諾を必要とするため、本人にも、末期ガンであることを知らされる。叔父は、あたふたすることなく、叔母と形見分けの相談をするなど、自分の死を素直に受け止めているようだった。

 本人の希望で、私たち甥姪には、病気のことを知らせるなとのことであったが、12月に入ると甥姪の見舞いも解禁になった。
 もし、あの世があるのなら、野球が好きだった叔父に、野球をやって欲しい。あちこちのグラウンドを走り回って気の合う仲間と思う存分楽しんで欲しいと願った。あの世はどのくらい広いのか知らないが、車があった方が便利だろうと、かつて叔父が勤めていた日野自動車のコンテッサ1300をオープンボディーにし、若き日の叔父を乗せた人形を作った。
 また、楽に旅立てるようにとの願いも込めた。

 叔父の姉である叔母に連れられ、私はこの人形を持って見舞いに行った。
 死を目前にした叔父に何と声をかければいいものか、私は無策であった。もはやベッドから起きあがれない叔父に、「コンテッサに乗った若き日のおじさんをつくってきたよ」と人形を手渡す。叔父は、寝たまま自分の顔の上に人形を持ち上げ、いろんな角度から長い間人形を見ていた。
 体力も無く、声も聞こえるか聞こえないかくらいだった。そんな声で、私の体重やら、胆石の心配をしてくれていた。

 この人形に「オッちゃん」という名が命名された。おじさんという意味ではなく、叔父の幼いころのあだ名だとのこと。叔父はオッちゃんを気に入ってくれたようで、一時帰宅の時も、無くなるといけないからと、自宅に持ち帰り、「オッちゃん取ってくれ」と、自宅でも手元で眺めていたようだ。病院に戻る時も、オッちゃんと一緒に戻ったらしい。この正月も叔父は自宅でオッちゃんと過ごし1月3日、病院で他界した。
 「オッちゃんはお棺に入れないで残しておいてくれ」と、言っていたらしい。

 叔父は、あちこちのグランドにコンテッサで乗り付け、仲間達と野球をやっているんだろう。叔父の家の玄関に置かれたオッちゃんを見て、ふと思った。

2006年1月27日

私的作品