日野コンテッサと「オッちゃん」
昨年10月(2005年)叔父の孔章(よしあき)が末期ガンであることを知らされた。抗ガン剤を使用するには、本人の承諾を必要とするため、本人にも、末期ガンであることを知らされる。叔父は、あたふたすることなく、叔母と形見分けの相談をするなど、自分の死を素直に受け止めているようだった。 本人の希望で、私たち甥姪には、病気のことを知らせるなとのことであったが、12月に入ると甥姪の見舞いも解禁になった。 叔父の姉である叔母に連れられ、私はこの人形を持って見舞いに行った。 この人形に「オッちゃん」という名が命名された。おじさんという意味ではなく、叔父の幼いころのあだ名だとのこと。叔父はオッちゃんを気に入ってくれたようで、一時帰宅の時も、無くなるといけないからと、自宅に持ち帰り、「オッちゃん取ってくれ」と、自宅でも手元で眺めていたようだ。病院に戻る時も、オッちゃんと一緒に戻ったらしい。この正月も叔父は自宅でオッちゃんと過ごし1月3日、病院で他界した。 叔父は、あちこちのグランドにコンテッサで乗り付け、仲間達と野球をやっているんだろう。叔父の家の玄関に置かれたオッちゃんを見て、ふと思った。 2006年1月27日 |