珈琲問屋・横浜西店

 「ここ数年通っているコーヒーショップがある。」と コーヒーショップの「看板娘」で言っているのが、珈琲問屋・横浜西店だ。

 私は生意気にも中学生の時から、エスプレッソを好んで飲んでいた。当時、家庭用エスプレッソマシーンなんてものはあまり普及しておらず、直火式のエスプレッソであったが。

 ちなみに高校生になると自転車競技部に入り、乗っていた自転車もESPRESSOという。昨年末、20年以上の眠りから覚め、復活した。

 エスプレッソは、やはり深入りの豆で飲みたいものだ。20歳代になると生豆が売っている店を見つけ、自宅にてフライパンで豆を煎るようになる、だが、結構高い。このころまでは、コーヒー豆の消費量はあまり激しくなかった。
 野茂英雄が大リーグに行った年、「飯塚隆行写真事務所」を設立し、フリーカメラマンとなる。自宅兼事務所なので、自宅にいる時間が多くなる。この辺りからコーヒー豆の消費量が増え出した。イラストの仕事をするようになり、更に人形を作り出すようになると、常時たばこを吸っているかコーヒーを飲んでいる状態になる。

 ある日、新聞にコーヒーショップの折り込み広告に入っていた。この日から 珈琲問屋・横浜西店以外の店でコーヒー豆を買わなくなる。その場で好みの煎り具合に豆を煎ってくれ、しかも、以前飲んでいた豆よりも安いのであった。
 私の車が店の前に駐まると、私が来たことを察知してくれるようになる。一週間に500gだったコーヒー豆も1kgになった。スタッフはみな若いが、コーヒーの知識はものすごく、いろんなことを訊いているうちにこちらも深みにはまっていくのであった。

 この作品は、私の地元である横浜で、気軽に見られるタカ・イイヅカ作品でありながら、 珈琲問屋・横浜西店と私との絆の証でもある。

2006年1月27日

私的作品