ラジオから趣味の悪いコマーシャルソングが流れてくる。それを掻き消すかのように、窓 の外から電車の「ガタゴト、ガタゴト」という大きな音が入ってくる。 男は、窓際のイスに腰掛け、左手でほおづえを付き、右手にヤカンを持ち、コーヒーを淹れ ている。ドリッパーの中のコーヒー豆が「ジワジワ」と、音を立てながら膨らんでいく。 横浜の安アパートの一室、いつものようにイラストレーター坂本昭二は、消化器の疾患に もめげず、ライトローストのキリマンジャロを堪能していた。 カップから手を離し、両足を画材の散らばった机の上に投げだす。一つため息をついてから、 両手を頭の後ろに回し出版社から渡された資料に目を通した。 坂本は、五十に手が届こうという年齢ではあるが、家族を持たず、月に二三本、本の表紙 や挿絵を描いて贅沢をするわけでもなく、ひもじい思いをすることもなく、何とか生活して いる。 とくに、戦時中から昭和四十年代の風俗に詳しく、児童書やその時代の書物に関する挿絵 を得意としていた。その反面、流行に疎く、今風のイラストは苦手であり、それが彼の最大 の弱点であり、仕事の幅を狭める原因でもあった。 |
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