「ところで、この電話機は懐かしいねえ。本格的に電話が普及する前からあった黒電話だ」 女将は、黒電話の通話口あたりをなでるようにして、 「あっ、これね。かわいいでしょ。丸っこくて。ワンちゃんみたい」 坂本は立ち上がり、受話器を持ち上げてみる。 「受話器を外すと、ヨーロッパの車みたいな形だねえ」 坂本から受話器を渡された女将は、受話器を耳にあて、 「でもね、この受話器、重くって、両手じゃないと疲れちゃうの」 数分前、店の入り口から最初に見た女将のポーズだった。 アップの髪に割烹着姿。色白の女が左手で受話器の握りを柔らかく持ち、右手を送話口の 下を支えるように添えている格好が、坂本には、魅力的な姿だった。 「なんとも、受話器を両手で持っている姿が色っぽいね。今の電話機は、受話器が軽くて、 両手で持つ人なんか見かけないものな。だいたい、風情がないよ。味気ないよ」 二人の会話をとなりで聞いていたこどもに、女将が言った。 「マー坊。かあちゃん色っぽいって」 坂本は、自分に向かって笑顔を見せているマー坊に微笑み返しながら、自ら発した「色っ |
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